見立てるということの難しさを知る。

いよいよ今年も二週間を切りました。十二月は行事も多く趣向も多い月の一つです。
とは言え、20日を過ぎると「クリスマス」を除けばいよいよ年越し大晦日ぐらいしかかないかも。
クリスマスの趣向には「見立て」として海外のものを多く使うこともあるでしょう。しかしながら見立ても本当は高度な取り合わせの一つです。
あり合わせや単に海外のお土産では人を感動させることは出来ないでしょう。歴史的背景や使う道具としての機能や芸術性の高さなど見極めた上で取り合わせる必要があると思います。茶湯とは使用できる美術品を取り合わせることにその醍醐味があるのではないでしょうか。
かつて益田鈍翁が用いた「セーブル窯」の水指は深紅と金のコントラストが美しいワインクーラーを見立てたもので、さすがに美しくあこがれもしました。こんな見立てであれば誰もが納得できるものでしょうし、これくらいに難しいのも見立てというものの本来の姿ではないでしょうか。


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