師走です。

今年も、というより平成も残りわずかとなってしまいました。

十二月の稽古道具を出していましたら、暦手の茶盌に昭和の御題が全て書かれている物がありました。月日の流れを感じます。

今日はことのほか暖かく、二十度越えの地域もあったようです。さすがに師走ですから日の入りは早く四時過ぎには暗くなっていましたが。

この時期に試みたいのが「夜咄茶事」ではないでしょうか?日没が早いので午後四時過ぎからはじめても明かりの演出は楽しめますし、二時(ふたとき=夜咄茶事は四時間ぐらいかかるので)経っても午後八時頃と比較的早く追われるのも都合がよろしいのでは、と思います。

最近はなかなか行っていないので、一度考えてみたいものです。

織部唐人燭台と玄々斎在判書付、樂家 9代 了入阿蘭陀写小灯

織部唐人燭台と玄々斎在判書付、樂家 9代 了入阿蘭陀写小灯

 

 


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開炉には「ぜんざい」

早いもので、十一月もまもなく終わろうとしています。炉のお点前には慣れましたか?
遅ればせながら、開炉につきものの「ぜんざい」についてお話をします。
先月、出雲へ松平不昧公の記念茶会に出向いて参りました。
そこでは頂かなかったのですが、皆が「出雲ぜんざい」を食べたい、等というので「へー」
と思っておりました。

後日、出雲の方から「神在餅」という物を頂きその由緒知りました。
ご存じの通り旧暦の十月は出雲地方では「神在月」(かみありづき)となります。
この折りのお供えとし、また皆で頂く物に「神在餅(じんざいもち)」があります。
小豆を煮た物の中に紅白の餅を入れ供されます。この「神在餅」を地元のネイティブの方が発音すると「ずんざいもち」となるようです。
時は室町時代、かの一休禅師もこの「ずんざいもち」を召し上がったそうで、あまりのおいしさに「善哉(ぜんざい=良きかな)」といったとかいわないとか。
以来京都でも旧の十月に「ぜんざい」を頂き、宮中の「玄猪餅(げんちょもち)」の風習と重なっていったようです。
茶家ではやがて開炉の日として宮中に習い、最初の亥の日に炉を開き、火伏としました。

その後、神在餅と玄猪餅があわさり、お菓子として「猪子餅(いのこもち)」が現れます。

開炉の時期には善哉、猪子餅いずれかが喜ばれるようになっていきます。


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先日、映画「日々是好日」観てきました。
お茶を習ったことのある人なら誰もが頷けるシーンの連続。
樹木希林さんのお茶の先生は流石だなと思いました。
僅か、数ヶ月の習得で「お茶の先生」になりきれるあたり、役者さんは凄い!
あんな先生、いるいる、と思わせてくれました。
仕事柄、使われた道具に目が行ってしまいがちでしたが・・・。
前半、風炉の釜に炉の柄杓が置いてあってどうにも。途中から直してました。

全体としては、落ち着いた雰囲気の中で、淡々と月日が流れていく中で、人生と茶湯が重なり合うという、良いお話でした。原作は16年前に読んでいたのですが、この映画ではとてもよく、表現されていたように思われます。これをきっかけに、お茶に興味を持たれ、習う方が増えると良いですね。


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茶湯・晴山開店30周年 記念大茶道具展

お陰様で茶湯・晴山は開店30年を迎えることが出来ました。

この度は感謝の想いを込め、11月11日(日)~11月15日(木)まで記念の大茶道具展を開催致します。

皆様のお越しを心よりお待ち申しあげます。

 

平成三十年 爽秋

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<霜月>開炉・口切り

<霜月>今月の《道具》 呂宋 茶壷 土田友湖仕立

11月は各御家元でも 今期初めての炉が開かれます。この時期「新茶」を「茶壷」から取り出し茶臼で挽き頂くこと、が口切りの意味でもありますが、近年では茶そのものの保存技術が向上し年中上質の茶を頂くことが出来る時代となり、逆に「今年の茶」の有り難さが分からなくなってしまってもいます。ですから尚のこと「しきたり」としての「開炉、口切」の姿は大事にしたいと思います。

呂宋 茶壷 とは
天正期(1573-1592)の茶壷鑑賞盛行と価格高騰に目をつけた我が国の貿易商、呂宋 助左右衛門(るそん・すけざえもん)が、文禄三年(1594)にルソン島より多くの壷を輸入し、茶壷として豊臣秀吉はじめ織田有楽・ 浅野長政らの諸大名や茶人たちに売却したことが『当代記』『紺屋文書』によって確認されます。 るすん壷の語はこの『紺屋文書』が初現のようです。
この時以来慶長(1596-1615)末年ごろまでに輸入された壷も、多くは中国南部産の壷であり、東南アジア諸島産の壷は僅少であったと考えられています。

これ以前に輸入され既に真壷としで珍重されていた古渡りの茶壷と、これら新規渡来、今渡り・新渡りの輸入壷とを区別して「るすん壷」 あるいは「新真壷」と呼んだのですが、寛永期(1624-44)ころよりその区別は混乱し、古渡りの茶壷・清香・真壷・連華王をも含めて、輸入茶壷のすべてを呂宋壷と総称する者も現れ、ついには呂宋壷の称は輸入茶壷のうちの上等品を指すなどといった解釈も生まれました。

これらの茶壺は、嘉祐年間(1056-62)には広東省仙山市奇石村で生産され始めていたと知られ、我が国への輸入もおそらくは十二世紀中、遅くも十二世紀初頭には開始されていたことが確認されています。

(晴山 茶道具講座資料より 抜粋)11月・呂宋壺


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