平成三十一年四月です。

明治この方、四月は年度始めの月、新しい環境で生活を始められた方も多いのではないでしょうか。

今年は改元が行われようとする事もあり、一層心改まることでしょう。新たな「令和」の御代にもお茶が栄えてほしいものです。またこれを機に「茶の湯」を始められた方もいらっしゃてほうしいともおもいます。是非この時期、この機会にと一人(かずと)でも多くの方に「茶の湯」の良さを知ってもらい、「お稽古」を始められる方が多からんことを願っています。

 稽古を始めるにあたっては「良いお稽古場」「良い先生」をお選びになることが「良いお茶」を長く続けていける第一の秘訣でしょう。「良いお稽古場」や「良い先生」というのは一口で言うと難しくはありますが、「茶道」とはその名の通り「道」であり「修道」「修行」が伴います。そして一生かけても到達し得ない境地を目指しつつも決して「完成しえない」物なのではないでしょうか。
たとえ、七十、八十歳になろうと常に「真理」を目指し求道(ぐどう)していく姿にこそ「道」が宿るのではないかと思います。それぞれの段階、年齢で「精一杯」茶道に取り組む姿こそ「良い茶人」であり「良い先生」なのではないでしょうか。そしてその姿を「後輩」や「弟子」に見せて上げることも大切なことだと思います。茶湯の点前だけなら早ければ六、七年で習得することもできます。
実際に七十歳から茶道を始め七十五歳で皆伝を受け、一流一派を引き受けた方までおられます。
お点前だけを繰り返し習い、教える事ではなく「点前の先にあるもの」を日々追い求めていかなければならないと自らも戒めております。
お点前だけで茶の湯が成り立ってるわけではなく、茶の湯には多くの要素があり、あたかも、「一年生」が「字の読み方、書き方」「足し算、引き算」から始まり、「六年生」で卒業する小学生の勉強の様な点前の繰り返しではなく、その先により高度な「中学」「高校」より専門化していく「大学」「大学院」「研究室」と進んでいき、そこで研究に励んでいる先生が「教授」なのではないでしょうか。そして、やがて実社会に出ていく、その全てを見届けて上げられるのが茶の道とも言えないでしょうか。
今年もかわいく初々しい「一年生」が入ってきます。
「希望と期待と不安」を胸に抱いて門を叩いた「一年生」に優しさを以て明るい未来を伝えて上げるのが「先輩」や「先生」の役目ではないでしょうか。

「良いお稽古場の条件」として一つお話をしますと、

一、炭を使って稽古をし、炭手前も重視する。
一、濃茶を練る、飲む事が普段の稽古でなされる。
一、茶会や点前でなく茶事を行うことを目的と考える。
一、少なくとも先生は着物を着て稽古を付けている。

これは一つの私見です。しかしこれを守っている稽古場は確実に「良い稽古」をしていると断言できます。
また、逆にカルチャー教室では出来にくいい稽古です。茶を嗜(たしな)もうとする人が入り口としてカルチャー教室に通うことはけして悪いことではありません。しかし長年そこで勉強したあと、もっと深い茶の湯の世界があることを伝えることの出来る稽古場があり、そこへ誘(いざな)うことが出来る状況を持っていてほしい物です。
亡くなった師匠の教えの一つに「どんな稽古場でもおいしいお茶とおいしいお菓子は用意できるはず、生徒たちのために、それだけは用意して迎えてあげなさい。」と。
この条件が満たせる心掛けがあるなら必ず「良い稽古場」になること請け合いです。


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Auf wiedersehen(またお目にかかりましょう)

京都へ行ってきました。昨年の暮れ以来、三ヶ月ぶりです。学生時代を過ごした街は今も懐かしく、筆者を迎え入れてくれます。

流行不易、うつろうものと変わらないものは、表裏一体、茶湯は変わらないようで、誰もが知るように利休の茶と今のお茶は随分と変化したことは容易に分かるのではないでしょうか。変わらないようでも京都の町も変化していますし、茶湯も変化をしているのでしょう。
先週、ブログを上げた日、日中は外国の御客様にお茶を差し上げていました。イギリス人とドイツ人三人、日本の文化に大変興味があったようで興味深く話を聞いて下さいました。
日本人だから和の心が分かり、外人だから茶湯は理解できない、などと言うことはありません。茶湯の「おもてなし」の心は普遍的で世界共通だと想います。
だからこそ茶湯は外国人にあわせる必要もなく、今の人たちにわかりやすくするばかりが、未来のための茶湯ではない気がします。
その入り口の敷居を下げるのではなく、上がりやすく踏み台を着ける努力の方が喜ばれるはずです。

我々が守るべき茶湯の本質は少しも変わることはないと思います。そのドイツ人に尋ねられました。「茶湯を行う上で大切な心とは何ですか」と。
あまりに平凡かもしれませんが「和敬清寂」と「一期一会」であると答えました。

その心はことに「敬」。お互いを尊敬し合う心ではないかと。自らを尊敬できずに相手は尊敬できないのです。「自分なんか」がするお茶に人をまねいでは申し訳ないでしょう。なぜなら、その程度に想っている自分に招かれて時間を割き出かけていく客人に失礼ではありませんか。

もちろん自慢をせよと言うことではなく、その一会を精一杯「これで最期」の茶であるという気概でおもてなしをすることが大切なのだ。とお話をしました。

別れ際には「Auf wiedersehen」(またお会いしましょう)と手を振りましたが「Auf nidersehen」(もうおあいすることはありません)なのかもしれないのです。けっして逢いたくないのではなく、もう逢うことが出来ないかもしれない。この思いで今日の出会いを「日々是好日」と想い、過ごすことなのかもしれません。もちろん先日京都でお目にかかり、またねと別れた人たちとも。

 


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Way of tea

茶道、茶湯を英語に訳すときに かつては tea-ceremony と訳していましたが、近年では the Way of tea としても通じるようです。 いわゆる 「道」は日本の様々な事柄の中でも技術や技能ばかりの習得にとどまらず、精神性を磨く内容を海外の方も理解し「道」=「way」と訳しても通ずるようになりました。

裏千家学園の学生の頃、多くの海外留学生とも親しくなり、彼等が人種や国籍を超え茶湯にふれその素晴らしさに感動することは身をもって感じることがありました。彼等は母国に帰りその地での茶湯を行っていることでしょう。

先日、NHK(Eテレ?)でAIで茶を点てる、という番組が放送されたようです。私は見ていないのですが、茶湯が点前の習得や、その技術のみであったなら「人間」が教える必要もなくなる時代がやってくるかもしれません。その人の個性や味わい等とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、点前を伝授するには何より正確であることの方が受け取る側、則ちお弟子さんたちにはありがたい物です。

しかしながら果たしてそのような茶湯に魅力があるでしょうか。茶湯の一会に様々な思いを《道具》の取り合わせに託し、少しでもお客に喜んでもらう。そんな「おもてなし」の思いははたしてAIに出来るのでしょうか。

その意味において茶湯は「芸術」に分類されることも多いかと想います。「芸術」は人間にしか出来ない活動ではないでしょうか。ですから茶湯というルールの中で「芸術」をどう表現するかという課題に取り組む、これが「人類」が行う茶湯となっていくかもしれません。至高の課題と言って良いかもしれませんが、面白くもあります。その意味においてはこれは普遍的な課題でしょう。

ともあれ、この境地に至るには少なからず「お点前」はある程度習得をし、行うときには多少間違ってしまっても「間違えた」と気づき、そこそこの修練を終え、自分にも満足のいく取り合わせを考えられるようになり、そこそこ楽しめる《道具》を手に入れた後、やれ「芸術」だ「個性」だ「味わい」だ等と曰えるのではありますが。それが出来ないうちに「たけくらむ」ことはたぶん珠光さんがお叱りですよ。まただからこそ、死ぬまでまたは死んでからも修行の続く終わりのない「道」なのではないでしょうか。

偉そうな書き込みになってしまいましたが、これは自分自身に対する戒めです。どうぞご容赦を。

 

 


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雛祭り・暦の新旧を考える。

三月三日は雛祭り、茶湯の趣向で考えるに、二月中では不釣り合い、三月に入れば三日で終わりの趣向ではなかなか道具を揃えにくいのですが、果たしてどう考えましょう。

明治五年に陰暦を太陽暦に変更以来、それまでの季節の風習と一月あまりずれてしまい、それをどう考えるかが茶湯の趣向ではいささか難問です。

桃の節句とはいえ桃の花などハウス栽培でもなければ咲いていませんし、この日に行われる「曲水の宴」や「潮干狩り」なども寒くて出来ないでしょう。

この辺も含めて旧暦で考える方が茶湯の趣向では良いようですが、皆さんはどうでしょう。

ちなみに明日、2019年3月6日は旧暦の睦月晦日、明後日からようやく如月です。


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利休忌を想う。

(利休忌)

まもなく利休の命日、利休忌を迎えます。
利休さんを語るというのはなかなか難しいようで、容易ではありません。利休さんが居なかったら、我々はたぶんお茶なんかやってなかったでしょうし、お茶そのものも今現在残っていなかったかもしれません。
広く茶湯が普及する礎を造り、「茶聖・利休」とあがめられるばかりでなく、歴史上も重要な役割を果たしその名を戦国史に残しています。
「内々の事は宗易に、」と秀吉の内政参謀とまでなっていた利休は果たして戦国の世にどのような影響を及ぼしていたのか。表だって描かれる史料がない分興味をそそられます。
なかなか苦戦しているNHKの大河ドラマ。利休をキーパーソンに戦国を描いてみたらさぞや面白いのでしょうが、ドラマはおろか、時代小説にもなかなか描き切れていないのが実情です。誰もが知っている戦国時代における歴史上の有名人ですが、「茶人」の面からだけでは描ききれません。30年近く前利休400年忌に当たり映画も制作されましたが、やはり描き切れ居ていないことは否めません。
周辺には多くの戦国大名が存在しています。たとえば比較的密接な関係もあった細川親子(藤高、忠興=幽斎、三斎)あたりも、信長→秀吉→徳川へ続く歴史の中で活躍しつつ利休との関係も深いものがあります。誰か書いてくれませんかねぇ。
もう一人、利休の最後を見送ったことで知られる、古田織部。まさか「へうげもの」を原作にするわけにも行かないのでしょうね。アニメもしましたけど利休切腹まででした。
是非全編を形にして頂くのも一つの答えかもしれません。

 


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