今日から10月 茶湯では「名残」の月です。

本来、唐銅と鉄の風炉の扱いは異なっていなかったようですが、
利休さんの頃からか、徐々に「鉄風炉は・・・」といった雰囲気が出てきたようです。
それを決定づけたのがおそらく「窶風炉(やつれぶろ)」ではないでしょうか。
そもそも窶風炉は、台子にも載っていた大振りの鉄の鬼面風炉でした。
やがて、炉の流行や、炭手前が行われるようになり
利休らにより新たに創作された小ぶりな風炉用の釜の登場などにより、
それまで鬼面の風炉に載っていた大振りな「切合風炉釜」は底を改められ
炉釜に作り直されていきます。
釜の再利用は可能だったのですが、いかんせん室町時代からの鉄の鬼面風炉は
古作の名品でありながら、その用途を失ってしまいます。

そこで利休は与次郎に命じ、それら大振りな鉄鬼面風炉の欄干(釜が架かる部分)などを
げんのう(ハンマー)で打ち壊し、五徳を据えて用いる「窶れ風炉}を生み出しました。
にわかには信じられないかも知れませんが、おそらく事実です。

多くの人々は「茶人はものを大切にするので、古く銹びて朽ちてしまった鉄風炉も
大事に名残の時期に使うのだ}などというまことしやかな美談を信じているかも知れません。

果たして鉄風炉が都合良く「欄干部分」から朽ちていくものでしょうか?
鉄の風炉でまず銹が生ずるのは灰の付いた部分です。もし手入れの行き届かない状態で
灰をいれっぱななしの鉄風炉があるとしたら,果たしてどこからさびていたんでいくでしょか?

答えは簡単です。風炉の底、あるいは脚部からでしょう。
よほどがんっばって(?)欄干部分が朽ちるまで銹びさそうとすれば、
すでに灰を止める底はなくなり脚部もいずれかに穴が開き、
少しでもさわれば崩れてしまうような代物と化しているのではないでしょうか。

茶人がものを大切にするのは事実です。
利休はそれを大切にする以上に「使えるもの」にするため
原形にこだわらなかったのでしょう。むしろ、破壊することで「使えるもの」にすることが
大事だったのかも知れません。

以後、鉄風炉はこのイメージから「侘びもの」のレッテルが付いてしまいます。

DSC_0037写真は淡々斎好「常磐風炉(釜添え)」の本歌「角谷與斎」作のものです。
玄々斎が好まれたときには「炉風炉いつでも使える釜」として「常磐」と名付けました。
勿論、風炉で用いるときも年中使える重宝なものです。

 

 


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