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皆具の発生

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『掃墨物語絵巻』に描かれた水指・杓立

 そんな中でようやく、永享九年(一四三七)十月に、足利義教が後花園天皇を室町殿に迎えたときの記録『永享室町殿行幸御飾記』(能阿記)によると、「北向之御四間」において台子に相当するであろう「茶之湯棚」があり、銀の「台」に載った金の「建盞天目」「蒔絵の茶器」「茶筅」「象牙の茶杓」で一揃え、別に盆に載った銀のうがい茶碗、他にも蒔絵の台に載った銀の茶碗が二つ、蒔絵の「喰籠一対」に蒔絵の「昆布箱」に加え「釜」は南鐐で「風炉は胡銅」となっています。
「御鑵銀 水指青磁らんかん 杓立 蓋置同鍮石 おきかき鍮石 下水染付」と青磁の「水指」に胡銅の「杓立」には「柄杓」と「火箸」が添えられています。「隠家(蓋置)」に「建水」も胡銅という今でいう、「皆具」の姿でした。しかしこの道具は統一された皆具ではなく、青磁であったり、鍮石であったり、ときには南蛮物であったりしていることがわかります。
この頃書かれたとされる『君台観左右帳記』においてその存在が明らかになっていると考えられていきました。
 ということは、この時代には「デザイン、材料の揃った皆具」という感覚はまったくなく、状況に応じて異種の器物を取り合わせて、水指、杓立、建水、蓋置の四器に転用するというのが通常であったと考えられるのではないでしょうか。

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『君台観左右帳記』(部分)

 茶湯の皆具がいつ頃から登場するかを、絵巻をみてゆくと一目瞭然で、例えば十五世紀に描かれた「『掃墨物語絵巻』の囲炉裏の場面では、桶水指と杓立が炉の脇に置かれ、「祭礼草紙」では風炉釜の横に釻の付いた鉄鉢形の水指が置かれています。
 十六世紀のはじめ頃には成立していたと考えられる『酒飯論絵巻』になると、本席の隣室にある茶点所には、朱長板の上の左右に風炉釜と桶形蓋付水指が据えられ、中間の杓立には火箸と柄杓、その前に建水、手前左端に蓋置が置かれています。
同じく十六世紀に描かれた「猿草紙絵巻」には擬人化された猿が連歌会を行い、その部屋の隅に台子(または書院)に据えた風炉釜と皆具の前で点前をする猿がいます。
 ここに置かれた水指は桶や塗り物のようではなく「酒会壷」のような金属器、または陶磁器の用に見て取れますし、杓立、建水も明瞭に描かれています。
 このようなことから台子が創案されたのは十六世紀のはじめと考えられており、大永三年(一五二三)に書かれた『佐川家文書』の「台子寸法の事」に、
「一、たいすの内の道具、風呂、釜ハ左の程に、水さしハ右のわきに、中のさきに所を見合、柄酌立可置、酌指の前に少間をへたて、水こほし可置也、四ツ置合候道具如此に候、隠家ハ台子とふろとはしらとの間にをく也」

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祭礼草紙15C(部分)

とあって、台子の中に水指、柄杓立、建水、蓋置を置き合わせていることがわかる。しかも唐物荘候の時代であったため、ここに候われているのはすべて唐物のはずです。
長板や台子の延板に道具を飾るという方法はこうしてはじまり、『習見聴諺集』の「古伝書」(永禄元年(一五八八)や『鳥鼠集』を経て『山上宗二記』で「台千之四ツ組」という置き方が定着するとされます。
 湯相を整え、不足した釜の水を補給するための「水指」があり、水を使ったら捨てる場所が必要になります。即ち水翻であるところの建水です。「建」の意味は「覆す」と言う意味で「水翻」「水覆」とも書き、「水下」とも著したりします。
 釜の熱い蓋を置く場所が必要となり「蓋置」がいります。また、柄杓を立てて置く場所(器)として「杓立」が出てきますが、同時に火相を整える火筋、即ち「火箸」を立てておく場所にもなります。
 これら四器がフルセットとして皆具が成り立つのですがやがて侘茶が台頭してくるに従い最低限の道具以外として杓立がまずはずされてしまいます。
 これ以外の道具はその役割上どうしてもはずす事が出来ないので殆どの茶湯で使用されないと言う事がありません。


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猿草紙16C(部分)

 ある程度「皆具」の形式は揃っていたものと考える事も出来ますが、統一したデザインで全てが揃っている、と言ったものはないと考えるのが現在では妥当のようです。それぞれの役割に関しては個々述べるとしておそらく台子と共に本朝へ招来された時には何等かの形で皆具は揃っていたものと考える事も出来ますが実際に唐物として伝来し、統一したデザインで全てが揃っている、と言ったものはないようで、例えば、釜の湯を使い足す水を入れておくための器である水指ですがその起源もやはりおそらく唐物の器を使用したのが始まりですし、杓立は花入からの転用、蓋置は墨台、または筆架など文房具、建水は零しとしての用途はあったかも知れませんが合子、骨吐等の容器からの見立てとも考えられます。
 ですから、もともとそれぞれの役割が、決っていたものがそのまま使用された気配はなく、文様も統一された唐物の唐銅といった物は存在しないようです。
何れの用途に使用されていたかは別として台子での茶の湯作法が確立し、これらの道具は不可欠なものとして固定していきます。

 
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